2021-05-21 第204回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号
当時の橋本龍太郎総理と駐日本のアメリカ大使、モンデール大使との間で普天間返還が合意された、それからはや二十五年がたってしまったというのが四月十二日でございました。 この間、様々な検討がなされて、沖縄の負担軽減策が様々試みようとされたんですけれども、なかなかそれがうまくいかなかった。
当時の橋本龍太郎総理と駐日本のアメリカ大使、モンデール大使との間で普天間返還が合意された、それからはや二十五年がたってしまったというのが四月十二日でございました。 この間、様々な検討がなされて、沖縄の負担軽減策が様々試みようとされたんですけれども、なかなかそれがうまくいかなかった。
今度の見直しで普天間返還は更に大幅にずれ込みます。世界一危険と言われる基地をいつまで県民に押し付けるのですか。総理、普天間基地は即時閉鎖、撤去し、辺野古基地建設は断念すべきです。答弁を求めます。 次に、対中外交に関わる二つの問題について聞きます。 一つは、東シナ海における中国の覇権主義的な行動がエスカレートしている問題です。
その中で、普天間基地負担軽減協議会等などの場で協議を続けていこうと、こういうことで認識を共有されたというふうに承知をしておりますけれども、私どもとしては、そういった場を始め、あらゆる機会を通じて、今後とも沖縄県側と対話を継続しつつ、しかし、辺野古移設事業については、普天間返還を一日でも早く実現するために事業は前に進めさせていただきたいというふうに考えているところでございます。
政権交代実現して、基地建設の中止、普天間返還、カリフォルニアなどへの移転を進めるしかないという結論しかありません。 では、基地以外だったら沖縄に寄り添っていただけるのかということを聞いてまいりたいと思います。 米軍基地が沖縄にあるから沖縄はおいしい思いをしている。現実を知らずにおっしゃる方も世の中にはいらっしゃいます。沖縄県の出している「沖縄から伝えたい。米軍基地の話。」という冊子。
○木戸口英司君 大田知事の時代、先ほどお話あった普天間返還の橋本・モンデール会談、その後のいろいろな協議の中で、やっぱり県内移設ということが条件となればそれは容認できないというのが立場でありました。
○木戸口英司君 少しこだわるんですけれども、今、大田知事から県内移設、そして普天間返還という要請、そして橋本・モンデール会談との合意ということがありましたが、橋本・モンデール会談があって、サプライズのように普天間返還が大田知事に伝えられて、それに同意してくれという中で様々な条件があるということについて、それはここでは同意ができないというのが大田知事の返答であって、県内移設については当時の大田知事は全
なぜこのトップにナイ・レポートがあるかということなんですが、この普天間返還合意、橋本・モンデール会談、ここに、何回か菅官房長官ともやり取りをさせていただきましたけれども、やはり原点が大事なんだと思います。ですから私は少しこだわらせていただきますけれども。このナイ・レポートにおいて、アジア太平洋における米軍十万人体制の維持がこれ報告されたわけです。
それを進めていたところに少女暴行事件が起こって、そして普天間返還要求が出てきたので、日本側に費用を負担させる形で新しい基地建設の話が浮上してきたと、そういうことであります。 そして、その場所については嘉手納統合案が非常に有力視されていました。
しかし、沖縄の負担軽減の目玉として日米合意した普天間返還が辺野古の海を埋め立てる移設問題と変容して、沖縄の民意を切り捨ててでも新基地建設を強行するという現政権のスタンスとなっています。米海兵隊の抑止力、在沖の軍事的、地政学的意義という虚実がない交ぜになっている中で沖縄基地問題の本質がゆがめられているのではないかということを強く指摘したいと思います。
普天間返還、一九九六年四月十二日、これが発表されております。官房長官は事故がきっかけということをおっしゃった。私は事件だということを確認をいたしました。一九九五年九月、沖縄の米海兵隊員らによる少女暴行事件が発生している。
その上で、普天間返還発表時、先ほど言いましたとおり、ヘリポート案、そして岩国や米本土への分散を組み合わせる、こういう案から始まって、本格的な滑走路を持つ巨大施設へと、そして、海上施設案、先ほどV字形が地元からの要望だったということでありますけれども、今こういう大規模な埋立て、そして港湾、軍港ですね、軍港も備えた、その意味では新たな機能を加えた新基地建設と、こういった現行案になったわけでありますが、この
そういう中で、もう質問はこれで終わりにして、また次に譲りたいと思いますけれども、今後、日米において普天間飛行場の移設に向けた新たなロードマップ、この辺野古新基地なき普天間返還を模索すると、そのことは私、強く求めながら、これからまたこうした議論をしていきたいと思っております。 以上でございます。
橋本龍太郎総理は、普天間返還を最初のサンタモニカでのクリントン大統領との会談で議題に上げました。学童疎開での悲劇である対馬丸への思いも記憶に残っております。 小渕恵三総理は、事務方が大反対する中、当時、日本国内で八つの、サミットの首脳会談、候補地がありましたが、最も可能性が低いと言われていた沖縄をメーン会場に決定をしました。
この間の私の認識といたしましては、とにかく、普天間の飛行場の危険性の除去ということ、それから、普天間返還の日米合意がなされてからもう二十年たつわけでございまして、そこに対して、宜野湾の市民は、一日も早くこの宜野湾の飛行場は返還してほしい、この思いだということは紛れもない事実だというふうに考えています。
○岸田国務大臣 御指摘の点については、まず、三月三十一日の日米首脳会談において、安倍総理から、辺野古埋立承認に関する訴訟について、辺野古が唯一の解決策とする立場は不変であり、急がば回れの考え方のもと和解を決断したものであるという説明を行い、そして、辺野古移設を一日も早く完了することにより普天間返還を実現したい旨述べるとともに、沖縄の負担軽減について引き続き取り組んでいきたい、こうした旨、安倍総理から
これらの記録が、普天間返還合意以降の日米間の辺野古移設協議の中で同様の内容について協議がされた事実があるかを御答弁お願いします。 その内容というのは、一点目は、那覇港、那覇空軍基地など別々の施設を最終的には一つに統合することが目標だという記述。一九六六年三月十日付けの会議メモ。二点目は、この沖縄の港湾施設、つまり辺野古の新基地を横須賀基地の代替施設か、横須賀と並行して使用する案があるという記述。
まずは、辺野古移設をめぐる和解が普天間返還に与える影響についてお伺いをしたいというふうに思います。 かつて、国防長官だったラムズフェルドが、ここは世界一危ない基地だというふうに言われた。その基地を移設して、そして沖縄の皆さんの安全を高めるということがそもそもの目的だったというふうに思っております。
四、県が勝っても、沖縄だけで米国と返還交渉し、普天間返還実現をすることは困難であると。 この勧告が指摘するとおり、地方分権一括法で機関委任事務、地方に対する国の包括的指揮監督権が廃止をされました。国の関与は必要最小限度のものとし、関与する場合、地方の自主性、自立性に配慮することが定められたわけであります。代執行訴訟提起は地方分権一括法の趣旨に反するとの指摘がありますが、認識を伺います。
しかし、これはただ単に普天間返還ではなくて、辺野古への移転であったわけでございます。 ですから、残念ながらこれは十九年間一歩も進んでいなかったんですが、しかし安倍政権になって、その後民主党政権でこれが大いに迷走したことは江田委員も認められるだろう、このように思います。そこからこれはやり直さなければいけなかったんですから、結構大変だったんです。
これ、二十年間、普天間返還問題については議論してきましたけれども、これは私はフェイクだと思っています。普天間は返りません。返すようなふりをして、二十年間、基地問題を封殺をしてきたような気がします。中にいるとそういう感じがします。 むしろ焦点は、この基地問題の焦点は、私は嘉手納だと思っています。嘉手納の危険性をどう除去してくれるか。
五年ないし七年の返還から、日米ロードマップの二〇一四年という年度が新たな返還期日として日米で合意されましたが、その期日すら残念ながら延長された背景の中、今は、二〇二二年、そしてその後という統合計画で普天間返還が進められていると理解しております。
代替施設の完成時期を早めることが可能ならば、普天間返還の前倒しも可能である。その場合は喜んで協力したい。普天間の危険性除去のために一刻も早い運用停止を求める県民の要望は十分理解できるが、非現実的であり、可能性はかなり低い。これは日本政府にも、あるいは沖縄県にもその旨伝えてあるというような発表がありました。
全部二〇二二年度以降に数値が決定をされているということは、まず普天間返還がある、それがない限りはほかの五施設の返還も進みませんよというふうに沖縄の方たちが考えるのも当然だと私は思うんですけれども、いかがですか。